信じられない、もう終わるのよ。もうすぐ七十歳になるそのひとが、相変わらずからっとした声で言った。
せまい事務机の上で請求書だか領収書だかの小さな束を揃えながらそのひとはまた、こんなことにまきこまれてさ!気がついたら子どもも四十よ!それでこれよ、これで今!と言って笑った。その束のいち枚になる紙を今届けに来たばかりでそんな話になって、少し気まずかった。
もうね、やったわ。やりきった。もうごめんだわ、良くやったわよ私。そう思わない?
本当ですね。ほんとにそう思います。もうここに来て三十年くらいになりますか、息子さんとおれが同級生になったのが小学二年のときだから。
そう言うとそのひとはちょっと斜めうえを見て、そうよねえ、あっというまだわ。あっというまにも程がある。と言って、それから珍しく小さめの声で、私さいごは空気がいいわ、だんだん透明になって、空気になって消えちゃうのがいい。とつぶやいた。
なんと返事をしたのかおぼえていない。
それからそのひとは、やあねえ!と言って、三十年前と同じ声で笑った。
その晩に居間で食後の茶を飲んでいるとき、母がふと、いっそ私は水になりたいわもう。と言った。こっちもか、と思わず返すと、こっちもかって何だと返された。
それで、昼のことを説明したかはおぼえていない。