誰の小言幸兵衛だったか、「戸を開けてお入り」と声をかけられただいぶん気の短い客が「なに言ってやんだ入るのに戸を開けるな当たりめえじゃねえか、閉めて入るのは風か幽霊か透かしっ屁くらいなもんだ」と答えたやりとりが面白くて、いまだに憶えている。いつ聴いたものだったかは忘れた。ずいぶん前だ。続けて「眠てえこと抜かしゃがると手前のどてっぱらにトンネルぶち開けて汽車あ叩っこむぞ」だったかな。いいせりふだな。
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幽霊は立ち歩く記憶で、足がない。凝りあつまった感情で、影がない。生きている人から人を抜いた何かで、命がない。幽霊はいまそこに在る姿で、かつて在ったことがない。幽霊は何も不思議に思わないし、そもそも思うことがない。迷い出てきて、行くところがない。
そうしていつもこっちを向いて、ただ居る。目を閉じたり口を開けたりして。
手をひらひらさせたりして。
うすく笑ってふと上げた顔を、覗き込んだりして。
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居なくなった人がそこに居るのを見るというのはどういうことだろうか。そのために、まずかれがそこに居たことを知っておく必要がある、でなければ、疑いなく信じておく必要がある。
それからかれが居なくなる。居なくなりました、と知らせがあって、居ない人に会いにゆくと、居ない人は仏間の布団に寝かされて、なんだか見慣れない色をしている。仏間と、間のふすまを取り払ってつながった客間に居る人たちは、かれについていくつかのことを知っていた。
かれはここに居る我々のうちの七人を生んだ。母から見たかれはこうだから、かれは我々四人を生んだ人を、生んだ人だ。
みなかれの前にちゃんと並んで正座をして、特別な人が特別な時にだけ言う言葉を聴くでもなく聴いたり、一緒に少し唱えたりした。それから母はかれの顔をなでて、小さな声で、土地の言葉でひとことかれを呼んで、少し泣いた。
居る人たちは居ない人を、でなければ居ない人の何かを棺ごと車にのせて、町はずれの焼き場へ行って係の人に焼いてもらった。係の人によるとそれは二時間ほどかかるということだったので、建物の外を少し歩いたりして時間を潰すことにした。
車寄せをこえて左へゆくとちょっとした遊歩道のようになっていて、その先の広場についてふりかえると焼き場が見えた。よく晴れた五月で、煙突から黒い煙が太く斜めに上がっていて、その煙を見て(元気だ)と思った。すると煙は急に、風に逆らうように大きく早い渦を巻いて、それからおとなしくなって消えた。こどものようだと思って、それで、ああもう居ないんだと思って、何か言いたくなって少し口を開けたけれど、何を言えばよいのかよくわからなかった。
かれは末っ子の母とその子どもをとても可愛がった。遠くに住んでいたから、自分は十回も会わなかったかも知れない。
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幽霊は言えない別れで、意味がない。誰にも見えなかったはずの自覚で、意識がない。
そうしていつもこっちを向いて、ただ居る。風にのる格好で身をなびかせたりして。
ふと止まって、目をもう少し大きく開いてみたりして。
幽霊は何かの拍子にいま目の前に現れてしまった昨日で、関わりがない。
幽霊は象られた不在で、かたちがない。
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