きれいな目をした小父さんが
一人、山小屋へつづく階段を登ってくる
軽く息を上げほほ笑みを薄く浮かべ
小父さんは階段を登ってくる。三月あたまのよく晴れた昼時で、小鳥たちが機嫌よく鳴きかわしていた
せんせい。山小屋の主をたずねた小父さんはきれいな目をまっすぐ向けて話しかける
せんせい、は落ち着いて小父さんの額あたりをちらりと見て先を促す
「先生。人の主食は人ですね」
長く考えてそれが分かったのだと言う。小父さんは一人でどこにも行かず誰とも会わず、何年もずっと考えていたのだと言う
先生は答えない。何年も考え続けてこの当たり前すぎる結論を持ってきた小父さんのことが急によく分からなくなったのだ。小鳥たちがそれを気取って祝いの歌を歌い始めた。小鳥はかれらの意地悪さを披露する機会を決して見逃さない。先生は珍しく少しいらいらした
小父さんはそれに気が付かない。もっとも、先生のいらいらを悟れる人間などどこにもいない。小鳥がそのこともまた祝い始めた
せんせい、と小父さんはまた言う。先生は小父さんの目から目を逸らしている
「先生。人の主食は人ですね」
それを
分かち合って、
だからどうだと言うのだ。と先生は
あやうく言いかけて止まった。いつのまにか小鳥もしずかだ
山じゅうがしずかだ。時間だけかさかさ言う。小父さんの目はいよいよ澄む、それで
人を食おうと言うのかね。いや、
言う必要はないのだろう、何も言い現す必要などないのだ、それで
時間だけかさかさ言う。先生は「自分もここまでだ」と思う(そしてそれは間違っている)
それは間違ってはいるが、他の場所では間違っていないかもしれない